今日はこれから一人タコパ!

タコパすなわちたこ焼きパーティは人類が生み出したアクティビティの中でも、相当に幸せ喚起度が高いものであることは研究者の間ではよく知られている。

同様の活動にバーベキューがあるが、どうしても屋内で行うのが難しいことや、セッティングが大掛かりになりがちといった難点がある。

その点、タコパであれば、もっと話は簡単だ。

バーベキューと同様の、『ものを焼いて食う』という、炎を扱う動物であるところの人類の本能的な快楽に訴える活動を、屋内でひっそりと行うことができる。

また竹串で丸いものを転がすという精密作業が、右脳と左脳の間にちょうどいい連結状態を作り、それが軽い変性意識状態をタコパ中の人間にもたらすということが、近年の私の独自研究で明らかになっている。

しかしこれまで、タコパの難点として、『一人でそれを行うことはできない』というものがあった。

これは大きな問題であり、なかなか遊びに来てくれる人のいない私の家でのタコパの開催が、その問題によって阻まれるということがこれまで何度も起こってきた。

この問題を解決するため、『一人でもパーティは可能だ』という新たな観念が私の脳に先程インストールされた。

そう、私は今まで、何を勘違いしていたのか、パーティは多人数で行うものだと思っていた。しかしそれはあまりに制限された視野の狭い昭和的考えに過ぎなかった。パーティは、当然のことながら、自分ひとりで開催する事が可能だ。だからタコパだって一人でできる。

ということでさっき私はセブンイレブン前にある電動シェアサイクルに乗って、まいばすけっとに向かい、各種の食材を調達してきた。

そしてこれからタコパをする。

人とするタコパも楽しいが、一人でするタコパも最高である。なぜなら好きな具を失敗を恐れぬ自由な発想でたこ焼きに入れることができるし、自分のペースで好きなだけたこ焼きを焼いて食べることができるからである。

たこ焼きを焼き、食べながら、Kindle Fire等でアニメなどを鑑賞するのもいいだろう。好きな音楽をレコードで聴くのもいい。そしてしみじみとタコとゆったりした贅沢な時間を噛みしめるのだ。

そんな一人タコパはとても楽しく最高な時間でした!

と、前もってここに感想を書いたところで、これからタコパを開催する。


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みんなー地球はいいところだー!

先日、私は地球のために生きていこうと思った。

そうせねば遠からず宇宙世紀がやってきて、コロニーやアクシズが地球に落とされてしまうからだ。

そうなる前に地球に優しい生き方をして、人類の雰囲気を朗らかなものにしていく必要がある。

また、そうすることで毎日の生活はより楽い感じになっていくであろう。

だがこのちっぽけな私に何ができるというのだろう? 私はいらだちのあまり爪を噛んだ。

壮大なことを考えると無力感に襲われるのが人の常なのだった。

でも、あきらめてはいけない。今の自分にできることから、一歩一歩、前に進んでいけばいいのだ。

一日に五センチでも前に進むことができたら、それは小さくても確かな勝利である。そのジャストワンビクトリーを積み重ねていけば、いずれ山をも動かすことができるだろう。

というわけで私は今の自分にできる地球に優しい行動を探し、それを実行した。

LINEの自分の名前を地球に優しい感じに変えてみました。いいね!


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地球のために楽しく生きる

ある日の私の壮大な決意

スーパーで買い物をしているときのこと。ふと思った。

「あー最近、なぜか幸せだ。幸せで満たされてるせいか、人生に飽きてきた」

そこで、何をどうしたら、もっと面白く生きていけるか考えた。

すぐに閃いた。

これまでずっと続けてきた、「自分個人の欲望を叶える」という生き方について、今、飽きを感じてきたわけだ。だとしたら、今度は逆のことをやってみればいい。つまり他の人の喜びのために活動する時間を増やせばいい。

そうすると飽きが減るはずである。そして楽しさが増えるはずである。理論的には。

もしかしたらスーパーで世界各国、地球全土から集められた各種の新鮮な食材に囲まれているがために、このような壮大なことを閃いたという可能性はある。。。

とにかく、これからは地球と、その上に暮らす人類と、動物と、各種の植物と鉱物のために生きる時間を増やしていくぞー。

おー!

(スーパーにて上記のことを思い、そしてぎこちなくほほえむ私の図)

とってもやさしいうさぎ

ところで動物の代表と言えば、うさぎですよね。うさぎといえば、このLINEスタンプが最近はお気に入りです。すごく可愛いのでおすすめです。

とってもやさしいうさぎ

江戸時代の外国人

さてここで話は変わります。

私の友達の友達が、私の旅行写真↓を観て「鎖国してる江戸時代の外国人みたい。ボンジュールと言いそうだね」という感想を持ったそうです。

この写真は先週末の旅行で山本監督に撮って頂いたものです。そう、この前の土日、『NHKにようこそ!』『ヤマノススメ(サードシーズン放映中!)』の山本監督たちと長野や山梨に行ってきたのです。

信州旅行

金精軒であの超レアスイーツの水信玄餅を食べたり、そこで長谷川さん(上の写真で私と肩を組んでるナイスガイ)にばったり会ったり。

幸せの鐘を鳴らして幸せになったり。

バーベキューで激ウマ肉を焼きまくったり。

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ベルギー産激レアビールを頂いたり、ガンダムや筋肉少女帯やスターウォーズや究極超人あ〜るについて、みなさんと熱い議論を交わしたり。

銀河面サーベイを映す巨大電波望遠鏡を見学したり。

ほうとうを食べたり、天丼を食べたりという超リア充時間を過ごしました。

楽しかったー! みなさんありがとう!!

第七女子会彷徨

最近、私はかなりピンポイントで、次々と面白い漫画を見つけている。面白漫画を引き寄せるニュータイプ能力が開花したのかもしれない。

先日、Amazon Unlimitedで一巻が無料だった『第七女子会彷徨』という漫画も素晴らしい作品だった。

多次元的女子高生日常SF漫画

暖かみがありなが、どことない繊細な危うさを感じさせる絵で、リミッターを外したドラえもんのような、あるいは根が明るくなったグレッグ・イーガンのような話が描かれる。

ドラえもんの場合は、どれだけ秘密道具が使われたとしても、作品世界は毎回、スタート地点に戻り、世界には何の変化も生じない。だが、本作品においては、SF的道具が使われたり、何かSF的な事件が起こるたびに、それが世界に不可逆的な変化を生じさせる。

グレッグ・イーガン作品では自己同一性への不安をもたらす事件が描かれ、それが作品全体にシニカルさと実存的不安をもたらしている。だが、本作においては、基本的に何がどうなろうと、どれだけ世界と自己の存在の基盤が揺らぐ事件が起きても、日常のほのぼの感はキープされる。

毎話、世界はグラグラと変化し、揺れ続けるのだが、主人公とその友人の女子高生二人の日常的な関係性に毎回、物語のフォーカスが戻るため、なんとなく世界に連続性が生じているように感じられ、それによって日常系漫画としての安心感が作品に生まれている。

世界の安定性はゼロに等しく、自分の存在の継続性も毎度のように脅かされる彼女たちの日常だが、そんな世界の中でも楽しげにのほほんと生きる彼女たちを見ていると、謎の安心感が読者にも伝わってくる。

もともと世界の安定性も、自分の同一性も、そんなものは常に移り変わるものであって、だから、それはどれだけ移り変わりまくってもいいのだ。安心感というものは、そういう見かけの部分から生じるものではないのだから。

人間、一秒ごとに変化しているし、世界も瞬きする毎に別の世界に変わっていっている。それは漫画の中だけではない、我々が生きている現実のことだ。その中で人間は、過去から未来へと続く盤石な時間の流れという架空の概念によって、自分の足場が固いという空想的な安心を抱いているが、それは空想的なものである。

世界が一秒先に今のようである保証は何もないし、この自分が一呼吸後に今と同じ自分である保証も何もないというのが現実である。

そのような現実に対し、安心感を得るための二つのアプローチが存在する。

一つ目のアプローチは、なんとかして、何の確たる足場もないこの現実体験に、継続性の根拠となる、なんらかの物理的、社会的、概念的構築物を建築し、それを維持しようとする試みである。

それは個人内においてはエゴを強化しようとする必死の試みとして現れる。またそのような構築物は、限りなく豪華絢爛に複雑化することが可能だが、どこまでいってもそれは空想の上に構築されたファンタジーに過ぎないため、そのような幻に安心感の根拠を得ようとする試みは失敗に終わることが運命付けられている。そのため、幻に依拠した安心はその裏に常に同量の不安を抱えている。

一方、それとは違う二つ目のアプローチとしてあるのは『自分の存在が何一つ依って立つところがないという無重力の真空のような現実認識の上に、とにかくなんの根拠もなく安心してしまう』という方向性である。

この種の、無根拠であるがゆえの根源的な安心がこの漫画には表現されていると私には感じられる。

物語の表面にあるSF的流転が、生と死、機械と生命、この現実と平行現実、過去と未来、夢と幻、そういった各種の境界をハイスピードでかき混ぜ続けるとき、そのようなテクスチャーの下にある、目に見えない静かな深みの奥で、揺るぎなく永遠に続くものが強く我々の心に暗示されるのである。